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自己啓発本が大嫌い

2023.04.20


何も言えないでいる。なんとなく呟けないでいる。こういうときTwitterは難しい。何も言わずに日常の投稿をするのも憚られる。何かを好きになるときはいつも無責任で自分勝手で、頑張る理由のほんとひとつの塵にでもなれたら、そんな程度にしか言えないのに、応援するなんて無責任なのかもしれないと思った。皮肉にも、契機になってそういうことを見つめ直してしまうし、いろんなことを再認識する。
トロールズのライブで、トンネルを聴いて、「そこにいるようでどこにも見当たらない 何度言ったってここでは聞き取れない その闇は本当に必要なのか知らない」という歌詞を聴いて、何かが落ちた気がした。何かが落ちる瞬間を何回も味わっているのに、本丸はなかなか落ちない。
昨日一昨日と、30年以上前のアルバムの完全再現のライブに行って、無責任だから楽しめて、だから趣味なんだと思った。好きなものや人の人生を背負うなんて大それたことできない。それでも、なにかしら、何かを返すことはできるのだろうかと考えていました。きっと何も返せないし、返せているなんて自己満足はしない方がいい。無責任なくせに、責任感をちらつかせる方が余程無責任だと思う。
ちょっと進んでは戻ってをやたらと繰り返して、そうしてきっと苦手な冬も何食わぬ顔で過ごせるようになるんじゃないかと思っている。思い出したくないことを思い出しながら、きっと頭の整理がついていくんだと思うし、自分なりに合点がいったらいいなと思うのでした。

2023.04.14


 
 
昨日は在宅だったのだが、終業する時にまだ外が明るくて、本当に終業していいのか不安になって何回も時計を確認してしまった。ずいぶんと陽が長くなった。多分春がとっくに来ていて、夏が来る頃になってやっと、春ってきてたんだねと気がつくんだろう。
久しぶりに昼にワイドショーを見ていたら、知らない人ばかりが出ていた。お昼のテレビに出るくらいだからきっと有名なんだろう。こうして自分の知ってる世界以外からは突き放されていくのね…と思いながらパスタを食べた。
今日の昼はお弁当を持って行った。冷凍のチャーハンと昨日の晩御飯の残りものをタッパに詰めた。最近外で食べるご飯がやたらと高い。高いのに量が少なくて、お腹がいっぱいにならないことがもっぱらの悩みである。お腹いっぱい食べたいのに、値段を考えて日和ってしまう。高いならせめて美味しくあって欲しいのに、美味しさもあまり伴っていない。最近友達と会って話しても、最近高いし量少なくない?の話ばかり出る。安くて美味しい、が当たり前ではないことは愚か、高くて美味しいも当たり前ではなくなってきている。(期待値の問題か)
今週はとりあえず怒りに満ち満ちた週だった。森羅万象に苛立ってしまった。毎日電車が遅れていたし、そのせいで激混みエブリデイで、逃げ出してえ〜と思った。引っ越すならどこがいいか真剣に考えた。4月という不安定な時期にこういうことを考え始めると全体的にバッドが入ってしまうのでよろしくない。
そんなつまらないことから脱却すべく、生きている間にやるかもしれないことを書き出してみることにした。書き始めてから2ヶ月経ったけれど、なかなか項目が増えない。それを目標にしてお金のことなどあれこれ考えるのがいいと思ったのだが、なかなか難しい。月に複数回蕎麦を食べる生活を続けるためには、いくらあったらいいのだろう。ウユニ塩湖やガラパゴス諸島に行くためには何が必要なのだろう。今のところそのための準備としては、鳥を見るために双眼鏡を買うくらいのことしかしていない。そして、人生を変えたくないのでインドに行きたくないと常々思っているのだが、インドに誘われないためにはどうしたらいいだろう。それを断る術も今から考えておく必要がある。突然宇宙に行かないかと声をかけられるかもしれない。断るのが苦手だし、思ってることをはっきりいうのに時間がかかるタイプなので、今からちゃんと考えておきたい。インドにも宇宙にも失礼にならないような断り文句を考えるのには時間がかかりそうだ。
最近考えているのはPayPayのIDだ。名前に由来するものがいいのか、Jinseiwarukunaiみたいなのにするのがいいのか…未だ決められない。

2022 出来事8選

多分、恐らく、そして殆どの場合、毎日誰かのドラマに参加させてもらいながら、そして自分自身のドラマを成り立たせながら過ごしているんだと思う。

今年はそんな風に思うことが多かった。遅かれ早かれドラマになるようなこと、年月が過ぎたらドラマの、歴史の生き証人になるようなこと、毎日はそんな時間で多分埋め尽くされている。
映画になることの全てがやたらと劇的でエブリデイタイタニックなんてことはない。劇的なことの合間合間にお茶を飲んだり、トイレに行ったり、犬が散歩してるのを見たりしているはずだ。毎日変わらない何かがあるからこそ、ドラマはドラマたり得、変わらない何かに突然安心したりするに違いない。
ということで、今年のドラマチックな出来事を書き出してみたい。
突然何かに出会い、これまでの自分の時間と混ざり合うことが決してなかったものを突然取り入れて過ごすようになる。出会いは必然?それとも偶然?
・10/8 横浜FマリノスvsG大阪
J2降格圏内が続き、なかなか勝てない。負けたら終わりという緊張感で毎週末がヒヤヒヤだった。そんな中、首位マリノスとの対決、この日のガンバは守りに守った、そしてセットプレーから2点を取って勝利した。その後の選手のインタビューは何回でも読みたい。相手に合わせて走り、負けない試合運びをした。あの最終節に近づくと出てくる「負けない試合」を力の限りやった。相手に合わせて走るのは普通よりもかなり体力を消耗するらしい。負傷明けの宇佐美が前に体力を消耗して交代になったが、マリノス戦では自分のプレーが悪いということ以外だったら交代させないでくれと監督にお願いしていたそうだ。ユースから上がってきた時は生意気で少年だった宇佐美が、攻守に渡って献身的にプレーし、後ろからチームを支える選手に成長していた。それは、選手の集中が全く切れなかったことと大きくつながっている気がする。この試合でチームは一瞬たりとも集中力が切れることはなかった。いつもフッっと集中力が切れて得点されることが多いので、その点においても選手の気合を感じた。2点目が決まった時は膝に置いた荷物のことなんか忘れて立ち上がって飛び上がって喜んだ。あんなに嬉しいことがあるか。この試合で私たちは首位のチームに勝った。「負けない試合」で一瞬の隙をついて、「勝つ試合」をした。松さんの采配、選手たちの松さんへの信頼。全てに拍手だった。
・11/12 日比谷野音 D.A.N.ライブ活動休止
ドラムの川上輝が不調により、ライブ活動を休止することになった。私が最後に見れたのはOgreとのツーマン企画の日比谷野音公演。初めて見た時からブレない演奏、数年にわたっても軸が全くブレることなく音源をリリースして、音源を超えるライブをいつもしていた。ライブバンドなだけに、このような日を迎えてしまうのがとても辛く悲しかった。
この日は客もかなり盛り上がっていて、そうしたら、櫻木大吾が「いつもこのくらい盛り上がってくれてたら…」と言っていた。アンコールでラストにやったTime Machine、響いたわな…最後にファーストの曲をやるということに、気持ちをガーンと感じた。
https://open.spotify.com/track/18QhkHV29Nl5wyHx92HlOE?si=12YH8CKTTK2tufMXgGPVDg
 
最近はサンプラーを使うことも多々あった川上輝がほとんどドラムを叩き続けたことも、最後の顔も、忘れられないんだろうな〜〜
そしてこの日のオウガはちょっとバタついてて、初めて見たそんな姿に刺激を受けてワクワクした。また何か新しいことを始めようとしているという感じがした。
・12/3 幾何学模様ラストライブ
今年で解散すると発表した幾何学模様。東京は2公演あったが、チケットを取り忘れる事件。チケットが欲しいとツイートしていたら、譲ってくださる方が現れた。迷わず譲ってもらった。幾何学模様を見たのはこの日で2回目。日本に来るタイミングも多くはなかったけど、もっと見たかった。
バンドメンバー同士の不和などではなく、バンドを解散するというのはきっと人生の次のステージにバンドとしてではなくそれぞれ個人として進むということなのかな〜ただ、あんな大団円で終わるライブを生まれて初めて見た。拍手をやめられなかったし、生まれて初めてのスタンディングオベーションをした。この時が永遠に続かないと分かってるからこそ、より美しいものってあるなと思ったし、ある意味で私の中では永遠になってしまった。幾何学模様というバンド、密度の高いサウンドの中に独特の郷愁があって、そして何よりメンバー全員がロン毛だというのが最高である。
ラスト、本当のラストにやったDawnの音がまだ頭から離れない。光の溢れたステージに、そして完璧な演奏だった。バンドを見る時、ドラマチックな夢を見させてもらっているんだと思わずにいられない、今年見たラストライブ二つだった。
・デパートのコーヒーと蕎麦
今年ついに、ついに、憧れに憧れたデパートの地下のカウンターでコーヒーを飲んだ。目の前で豆を挽いて淹れてくれるのだが、眼に見えるような道具へのこだわりなどはなく、結構庶民的な道具が使われている。狭い空間で作業できるように整えられた台に。ケーキを箱から出したら、箱に残数を書く。アイスコーヒーを作る時は、ポットに入った熱々のコーヒーに氷を入れかき混ぜる。冷えたらその氷は捨てて、泡も捨て、新しい角のある氷をカップに入れる。一度角の取れた氷は溶けやすいみたい。
今まで食べたアイスの中で1番美味いアイス。コーヒーフロートの上に乗ったアイス、あいつは誰だ。クリームのようだけどアイスで、バニラビーンズがめっちゃ美味しかった。数回に一回は出くわす変な客(常連)。キャラメルを置いていく人、ポーションは入れ物に残るのが勿体無いから、入れ物から吸って飲むんだという人、いつもとちょっと味が違う気がする、と責めるでもなんでもない人。みんな普段何してるんだろう。
程よくザワザワしているので、コーヒーを淹れるところを見ながら、隣の客の発言を耳に入れつつ過ごす20分くらいはやたらと頭が空になった。ヨガに行くよりよほど。
レストラン街で蕎麦を食べてから、飲むコーヒーがよかった。
今年、完全に蕎麦を克服した。蕎麦、美味い。今まで食べて、美味しくないなと思っていたのは蕎麦(仮)であって、蕎麦ではなかったんだなと思った。蕎麦、美味い。蕎麦を食べられるようになったことは今年起きたハピネストップ5には入ると思う。
・エルグレコ 羊飼いの礼拝
展示室に入ると、一際光を放っている作品があって、真っ先に向かっていくとエルグレコだった。そのようなことが今年は2回もあった。エルグレコのハイライトの使い方が光を放ってるように見せていたのだと思うけど、今まで見た絵画の中で1番眩しくて、絵画の外の世界に光が放たれていると感じたのは初めてだった。傑作、とはああいう作品のことを言うのだと思った。
・W杯カタール大会(モロッコ🇲🇦)
今回のW杯で一番のサプライズはモロッコだと言われた。4位の成績。ハキミの確実にボールにチャレンジするディフェンスが美しかったな…
そしてツィエクのプレーがとても好きだった。あの緊張のシーンで出す柔らかいパス、それが奪われない。有識者の中にはプレーにムラがあると言う人もいたけど、何その漫画のような話…と思ってる。紛れもない中盤のヒーローである…そして髪型が山王の沢北と似てる。
ハキミとツィエク。
 
今大会でよくよく分かった、強いチームは全員で守り全員で攻める。守りの最終ラインはつまり攻めの最前線…グリーズマンのプレーがお手本…
四年に一度の祭典、私生活のほとんどをサッカーに捧げる時。こんなに早起き頑張れるのだから、私って結構サッカーが好きだな?と思った。体調を崩さず大会を終えられたので御の字。(選手か?)
冬のW杯、夏より辛かったな。夏なら日も昇るので起きやすいのだが、なんといっても寒いので起きるのが難しく、キテレツ大百科のベンゾーさんのような顔で見て、2時間したら寝て、起きて、をすると、起きた後はもう「あれ、あの試合いつの話だっけ?」というように過去のことになってしまってな。W杯は夏の方が燃える、間違いない。
・THE FIRST SLAM DUNK
整理がつかないのでまだ何も書けないけど、2022年の最後の最後にスラムダンクに心かき乱されたことだけは記しておきたい。三井………あああ…
NCT
1番好きなグループを今年は何回も見ることができた。イリチルのドームツアーは東京と大阪に行くことができて、ますます大好きになった。アイドルのコンサートを見たのは初めてだった。(地下アイドルとかはあるけど)すっげ〜〜のな、イリチルって。2Baddiesのカムバもワックワクだったし、自分が思ってる以上にイリチルのことが好きなのだなと気がつく瞬間が何回もあった。
そして、初めてこの目でテンくんを見た。テンくんは私にとって、救いの存在だった。テンくんが笑うと私はとても嬉しいのである。威神カムバおめでとう〜!!一年の最後にとっておきのご褒美をもらったような気持ちになりました。11月はドリムの公演も行くことができて、本当にNCT尽の一年だった〜〜〜来年も何卒よろしゅうおますぅ〜〜〜
【総括】
ライブやら映画やら展覧会やらをまとめながら、今年は例年以上にエンタメに埋め尽くされた一年だったんだなと思った。ライブにあまり行けなかった年を乗り越えて、以前並みにライブに行けた。この2ヶ月は特にライブが多くて、あまりライブのことをリサーチしていなかったために慌てることも多かった。
好きなものだけを好きでいると、正しく食指が働くことが分かった。
ただ、好きな物を好きでいられるということは環境が穏やかであるという、何かに脅かされることなく過ごすことができている、暇を満喫する余裕があるということの証なのだなと感じた。
サマソニにも行けて、今年は好きなバンドをたくさんみれてうれじがっだな〜!(ついにELLEGARDENを見ることもできたな…色々思い出してきて書ききれなくなってきた)そしてありがとうプライマルスクリーム…来年もこの調子で行きたいでがんす。
年々、自分の扱い方がわかっていく感じがする。何をするのが嫌で、何をすると機嫌が治るのか、何には惜しまず、何には躊躇するのか。だんだん分かってきて結構面白い。このまま行ったら80歳になるくらいには自分を超えて行ってしまっているかもしれないな…
あと今年は友達に誘ってもらってSpotifyPodcastというのを初めてやった。好きなものについて話すのって本当に難しい。友達は私の話し方が好きなバンドの人に似ていると言って喜んでくれたのでよかった。
来年も、いろんな物を摂取しながら生きていきて〜!!みなさんどこかでお会いしましょう〜!最後に今年の10曲を意地で選んで終わります。
1. Under My Skin / DYGL
2. Dreams Come True / NCT127
3. TONBO / Age Factory
4. I Think There's Something You Should Know / The 1975
5. Broken Love / WayV
6. 第ゼロ感 / 10-FEET
7. Black Clauds / NCT127
8. Feel The Pain / Dinosaur Jr.
9. Change My Way / Tony Molina
10. ECDのロンリーガール / ECD feat.DUB SHINE

2021総括

 
毎年1ヶ月ごとに聴いた音楽観た映画行った展覧会と共に感想をあげるんだけど、今年は10のトピックに絞って書いてみました。今年の後半の話ばっかになった気がする、宿命〜!
1 エキゾチック

8月、Girls Planet 999を見た。オーディション番組だったので、割と楽しみにしていた。「999」という数字を参加者の数だと思い、ビビっていたのだけど、意を決して見ることに。見始めたら99人で安心した。
番組の構成自体がよくわからず、数人のグループに分けられた少女たちが何か画面を見たり、初めましてなどと挨拶をしているのを見て、なんのこっちゃと思っていた。早送りをして(そんなことするから余計に構成が分からない)、とある二人組のステージを見た。二人とも黒い服を着ていて、痩せているというより引き締まっていて、そしてなんかふにゃふにゃしていてかわいかった。その二人が特徴的な振りのダンスに、New Thangsと歌っていて、なにこれ!と思った。速攻本家のNCT 127のKick itを聴きに行った。ダンスプラクティスも見たのだけれど、てっきり127人いると思っていたので、9人しかいなくて少し驚いた。漠然とNCTは人数が多い!と思っていたので、これだけ〜!(某CMの収穫できた米の少なさに驚く松坂桃李さながら)となった。
英雄のダンスは超人的な動きで、こんな動きができたら家から駅まで2分で着くのに…(真顔)と思っていた。そこからTwitterでいろいろな人がNCTについて教えてくれて(自分で調べても、構造が全然わからず、Wikiで見ても??だったので、本当にありがたかった…)、9人を覚えることに成功。
そして、運よく9月にイリチルがStickerでカムバ。ここで完全にメンバーの顔と名前が一致して、メンバー個人のジャケットのジュエルケースとかを買ってカムバを満喫。Stickerはアートワークの良さが…あの緑で統一されて、衣装との相性もよく、どこかのブランドのルックかと思うほど。部屋に置いておいても違和感のないCD。メンバーの団体のジャケもあの無造作加減がたまらない。そこに立っているだけで絵になるって、天性の物としか言えない。あの空気感、そして楽曲の「エキゾチック」さに魅了されたまではいいのだが、その後にNCTのあり方が世界中にあったらこの世は平和なのでは、と思うようになる。
NCTは多国籍といえば簡単だが、その背景には、それぞれの文化、言語を尊重するという特徴を持っている。それぞれの母国語でコメントをすることをメンバー同士が促したり、これって中国語では何て言うの?日本語では?などという会話が自然にされている。それに一番感じるのは、〜人だから、とかではなく個人個人として見ていること、当たり前だけれど、その個人個人を見るということはどんなに集団が大きくなったとしても忘れてはいけないことだなと日々感じている。まずはじめに個人がくるような接し方を私もしたいなと常常思っている。NCTを見ているとそのことをよくよく思うし、メンバー同士の関わりを見ていると気持ちが良いのはそこが大きいと思う。流石はNeo Culture Technologyである。「Neo」の部分に感じる可能性が無限大である。なんかわからないけれど、私はネオカルは本当に好き。

12月にはNCT2021としてカムバック。2018と2020を熱心に聴いていた時に次っていつカムバなのだろうか、と思っていた矢先、エスカレータの図が公開されて、私はそれに鳥肌を立てた。
これから何が起きるのかととても興奮した。訳のわからなさが最高だった。意味があるだろうものに感じる訳のわからなさは無限の解釈を秘めているのに、全くわからないという状況そのものがたまらなく最高だった。そこから、ビジュアルが公開になったりして満喫するのであった。(この項目では私はまだテンくんに出会っていない体なので、ここらでやめようと思う。)ちなみにガールズプラネットは一話で挫折、結果だけを見ました。
2 職

就職した。去年の私は夏頃、工場で日雇いでいいや〜と思いながら過ごしていた。今思うと訳の分からない考えである。あらゆる人から心配されていたのだけど、何とか就職できて、今年の半分以上、週5日、在宅勤務とかもあったけどパソコンに向かって何かしたりしてたのですな。去年までは決まった時間に何かをすることってほとんどなくて、好き勝手していたので不安だったけど、何とかやってこれたので、自分で丸しるしをあげたい。会社ではマンネやらせてもらってるのですが、何とか立派なマンネになれるようになりたいですな!(その頃にはマンネじゃなくなっているかもしれないですね)
3 ミンさん
今年一年は1月1日から12月31日まで、毎日ミンさんのことが大好きでした。ミンさんのことを考えなかった日はないし、毎日ミンさんの健康を願っていました。
今年の4月くらいまでは、考えるだけで泣いてしまうような事が多かったけど、この一年を通して私の中でミンさんの立ち位置がちょっと変わっていったところがあります。色々なKPOPの曲を聴いたりするにつれて、ミンさんは「祖」であると思うようになりました。昔から信仰するところがあって(ストレスが多いとさらに信仰心が高まっていく)、バンドに対しても崇拝の念を持つことがあって、そのこと自体には慣れているのですが、この「祖」は崇拝的なこともあるけれどそれよりも、「始まりの人」というような意味合いの方が強い。例えば、私が辛ラーメンを食べたいと思うようになったのはミンさんがきっかけだし、Epik HighのCDを買ったのもミンさんがきっかけだし、昔よりもヒップホップに親しみを感じるようになったのも、ケンドリックラマーをちゃんと聴くようになったのも、ミンさんのおかげです。この一年で私は色々な新たなことに触れて親しんだのだけど、それらのほとんど全てのことは自分の興味に加えて、ミンさんという存在が私の前に現れたからこそのことだったです。BTSのSUGA、プロデューサーとしてのSUGA、作曲家としてのSUGA、ラッパーとしてのSUGA、ひとりの人としてのミン・ユンギ、これら全てのミンさんに感謝する一年でした。生まれて初めて好きになったアイドルがミンさんでよかったなと思うし、好きになるべくしてなったような気がするし、明日も明後日もミンさんが少しでも幸せを感じられるように世界が回りますように、早く回復して作業部屋で作業ができますように。来年は一回でも多くオフラインでコンサートができますようにと願ってやまない。
3月にはお誕生日を祝い、生配信をしてくれて、4月にはジュースを作る配信、6月にはリハビリまでの時間で、12月にはライブの後に配信をしてくれて、リアルタイムミンさんをたびたび見ることができた。Butterがビルボードチャートで何週も連続で一位獲った時は毎週夜にコメントをしてくれたし、お礼のコメント動画もYouTubeに上げてくれた。そりゃ仕事だけど、仕事という認識だけではできないようなことをいつもしてくれていたと思う。いつでも言葉にして伝えてくれるところを本当に尊敬しているし、道を曲がりそびれたら、次の角を曲がればいいよと教えてくれるようなそんな人だなとこの一年で思いました。そして、ただそこにいることをしてくれる大切な存在だなと感じます。1年間ありがとう、何回も助けられました。ミンさんのことをずっと大好きだった一年でした。コマオ
4 弁当
今年の後半はお弁当を持って仕事に行っていた。
就職したての時はデスクで食べるのが嫌で、外に食べに行っていたのだけれど、何を食べるか考えること自体が負担になっていた。それならお弁当を持っていって、決まったものを食べる方が断然良い。それにご飯にお金をかけることがナンセンスに思えたので、節約もしたいしと思い、カムバにむけてせっせとお弁当生活を始めた。晩ご飯の残りを持って行ける日はよかったが、それ以外はご飯に漬物ドーン、キムチドーンになっていて、それを職場の人に知られてしまうなどした。来年はもう少し食にこだわりを持って、バリエーションを増やしたい。
ステンレスの東南アジアで使われているようなお弁当箱が欲しくて探していたのだけれど、もしそれを洗いそびれたら私は挫折してしまうと思い、家に同じ種類で何個もあるタッパーを使うことにした。この決断は大正解だった。自分という人間をよく理解していたからこそできた決断だったと思う。自分を変えるよりも自分を理解して、自分に合った物を選択することがいかに大切か知った。自分を変えるには意識と時間を要するが、それに対して自分を理解する方はもう「私はズボラ」という認識が全てで、何もできない人間だと思うことによって全てが解決してしまう。「私はお弁当を毎日出して洗うことのできない人間」「それなのにこだわりは強いから、できないとひどく挫折し投げやりになる」などと思うこと、つまり「私は何もできない」と思うことでオールオッケーなのだ。人間はそんなに変われないけど、受け入れたらもうこっちのものなので。弁当はいろいろなことを教えてくれた。キムチドーン弁当にブロッコリーを乗せられるようになるのが来年の目標です。
5 映画館で踊る
今年は映画館で踊りそうになった瞬間が二回あった。
一回はシャンチーでAnderson PaakのFire in the Skyが流れた時。シャンチーのサントラは映画を見る前から聴いていて、Zion.Tと星野源Nomadを聴いたながれで全部聴いた。家では何回も聴いた曲でも、映画館でエンドロールで流れるFire in the Skyは最高としか言いようがなかった。踊るのを必死に堪えた。去年TENETを見てエンドロールでTravis Scottを聴いて久しぶりの爆音で聴く音楽至高…と思って以来の最高映画館だった。ライブに頻繁にいけなくなってからは爆音を摂取するのはもう映画館しかなかった。やはり最高。
そして二回目はSummer of 85を見た時、ディスコのシーンで流れていたStars de la pubを聴いた時。あのシーンは胸の高まりによって音が遠くなったりする描写がとても繊細で、人物の耳を通して世界を聴いている感じかとてもよかった。この曲はディスコだった〜フランス語の韻の踏み方が最高だし、あのビートがたまらんかった〜!この曲を聴けば私はいつでもあのディスコに行くことができる。
6 観葉植物
今年は観葉植物を2つも枯らしてしまった。一つはパキラ、もう一つは名前を忘れたけど葉っぱ。パキラは水捌けが悪かったのか、かびた。もう一つは株が増えて、元の株は枯れてしまったのだけどもう一つの株は残ったと思ったら、時期にその株も枯れてしまった。なぜ。クーラーの風が当たっていたことが原因だったのか。
3年前から盆栽を始めたのだけれど、盆栽を枯らしたことはない。年々増えて今は4鉢育てている。虫がついたりしたがなんとか生き延びてくれている。そして、今年は夏の水やりも乗り越えた。家にいないと日に2度3度水やりはなかなかできないのだけど、なんとか乗り越えた…!拍手!
なぜ観葉植物を枯らすのか。観葉植物も3鉢は残っているので、枯らさずに行きたいし、観葉植物はもう育てない方がいい。教訓。
来年はとある盆栽を植え替えてもいい年。やっと来た…3年間待っていた。いい鉢を見つけてやるからな。
7 アウター
11月の下旬、そろそろ寒くなってきたかなという頃、数年前から欲しいと思っていたアウターをついに買った。高いし、高いし、高いし、と思っていたのだけれど、今年の新色がかっこいいし、あの蛍光の黄色のフードをどうしてもかぶりたい!!と思い、原宿の店舗に行き試着して、そのまま買って、そのまま着て帰るということをしました。3Wayだし、あったかいし、リフレクターついてるし、フードの色最高だし、人と被らないしで満足して、12月は毎日着て出かけました。昨日通販見ていたら、セールでその色だけ二万円ほど安くなっていました。あったかさプライスレス!!
8 テンくんとマトリックス
NCT 127を知った私は、NCT全体について勉強を始めました。実は「NCTにテンくんというすごい人がいる」ということは知っていました。検索かけたりしたことはあったのだけれど、ふーんで終わっていたのです。でもある日、Paint Me NakedのMVを見てからというもの、すっかり虜になってしまう。MVのビジュアルは強そうというくらいの感想しかなかった。でも声の伸び、綺麗な英語、頭の上から出るような高音、しゃくり、強弱の付け方、音を乗りこなす声が頭から離れず、MVを見て以来Spotifyでずっと再生していた。(聴き始めたのは9月なのにスポチの年間2位だった)そしてある日、MVを見ていた流れで、レコーディング動画を見た。MVのビジュアルとは全然違ってメイクをしてなかったし、私服だった。あ、顔が大変タイプである。昔から好きなバンドマンと顔の系統が似ている。好きな顔だ。好きな顔だ。昔から知っているような気がする。好きな顔だ。を繰り返す。そしてなんといってもレコーディング動画が良すぎた。ダンスがうまいというのはテンくんの姿を見る前から耳にしていたことだったのだが、「ダンスがうまい=身体の使い方がうまい」というのがこの人の特徴なのだな、とレコーディング動画を見て気がついた。手のちょっとした動きによって声の出し方を感覚的に変えている、感覚を掴むのがうまいというか、声の出し方にしても身体全体を使って出しているということがわかった。(テイルさんのハッスルレコーディングとはまた違った感じ。)曲を聞き続ける中で出会ったのが「テンくんの猫、犬説動画」だ。NCTの24hリアルカムの中でテンくんが宿舎で過ごす2時間を撮った動画。お手をする猫、ターンする猫、それを促す猫(テンくん)この動画、ふにゃふにゃなテンくんを見ることができるし、何より本当にかっこいい。ケーキを食べ、コーヒーを飲み、猫と遊ぶ、ラフなテンくん、よすぎる。これをみながら寝るようになった。
そして私はテンくんに出会ったのと時を同じくしてSuperMと出会う。SuperMはSHINeeのテミンさん、EXOのベッキョンさん、カイさん、NCTのマークさん、テヨヨ、ルーカス、テンくんからなるグループで、KPOP界のアベンジャーズとも称される。こんな私でもSHINeeやEXOはもちろん知っておるので、アベンジャーズには納得だった。

SuperMの何がいいかって、コンセプトがずばぬけていい。そして、コンセプトがコンセプトとしてちゃんと中心にあるのがいい。One(Monster&Infinity)のMVを初めて見た時、このテンくんを見て雷に打たれた気がした。美しくて美しくて目が奪われてしかたなかった。私が100の目を持っていたとしても、100全部の目が奪われたに違いない、それくらいの衝撃だった。
こんなにかっこいいコンセプトで、それを歌いこなし踊りこなし着こなして世界を作り上げる7人がすごいと思ったし、ここまで世界を作り込める製作陣にも感動した。
SuperMのMはマトリックスのM。ということで、12月にマトリックスの最新作公開に先駆けて、The Matrix(1999)を特別公開していたので映画館にいそいそ見にいった。高校生の時に見たことがあったがもうあまり覚えておらず、新しい気持ちで見ることができました。そこで度々出てくるセリフがあって、「He is the One(=彼が救世主だ)」というものです。このセリフを聞いた私は遅ればせながら、だからSuperMのアルバムは「Super One」なのか!!と気がつくわけです。このコンセプト頷ける。世界に立ち向かう救世主たち(救世主何人もいたらあかんだろ)…映画館で「テンくんが私の救世主って訳ね…」と思うの巻。
こんな感じで、テンくんと出会い、Paint Me Nakedを聴き、威神を聴き、NCTへの理解を深め、SuperMにどっぷりハマり、2021年の後半を過ごしました。テンくんと出会えて本当によかったと思う。曇り空を晴れに変えるようなテンくんの声がとても好きだし、勉強熱心なところは見習いたいと思うし、寂しい思いをして欲しくないと思うし、好きなように過ごしてほしいと思う。怪我もせず、表現を続けていってほしいと思うし、テンくんは何人いるのだろうかと思うほどの幅の広さにいつも魅了されています。本当に大好きだと思っています。アイドルになってくれてありがとう。
9 メンズノンノ
11月ごろだったか?メンノンがNCTとコラボするので質問募集していますとのツイートを見て、いっちょ送ってみますかと思い、送ったところ採用されるという事件が起きる。その時ちょうどイリチルがStickerの音源を聞いて、こんな曲僕たちにできますか?というような動画があがっていて、それを見て、あんなに完成度が高く仕上がった曲でもこんな過程があるのか、と思っていたところでした。音楽についての質問の欄を埋める時にそのことが頭をよぎって、「レコーディングまででどのように聴き込んだりするのか」というようなことを記入した。(あれ、家までの帰り道歩いている時に特に推敲もせずに送った気がする)まさか採用されるなんて思いもせず、公開された記事を見ていたら「ハッピー忍者」の文字が出てきて「?」となった。どう考えても、間違いなく私である。ヘチャンが答えてくれていた。こんなことあるのか。中高の時に読まれるラジオメッセージをいつも考えてきたことがここで実を結ぶことになるとは思いもしなかった。オタクを始めてから、初めてアイドルが私の声に答えてくれた瞬間だった。こんなことがあっていいのだろうか。冥途の土産リストに入れておきたい。
10 Butter
2021年はButterの年であったといっても過言ではないと思う。何回も何回も聴いたし、ティザーの時点でかなりざわついたし、毎日24時に公開されるあれやこれやにまんまと踊らされた。バターが溶け続ける動画を見たあの日から、音楽に垣根ないなと思ったし、また新しい扉が開いたなと思った。玄人受けする音楽。この曲を初めて聴いた時のことはnoteに書いたし、もう書くことはあまりないけど、Butterが公開されたことは音楽史に刻まれるようなことだと思った。音楽の普遍性を説いたところもあると思うし、いい音楽は世界をハッピーにするし、曲の中で意味がはっきりは語られない曲は名曲、聴く人の数だけ答えがあるから。ダイナマイト新規と言って揶揄されるけど、これまで沢山音楽を聴いてきたみなさんが気がついたその音楽のよさはグループを成長させるのではないかと私は思います。頑固な人を動かす音楽だと思うんだな、私は。音楽好きにおすすめできる曲は、アイドルという領域を越えていると思っています。もう何年も聴いてきたような気にさせる耳馴染みのよさは、古臭さを感じさせない、いつまで経ってもノスタルジーにならないと思います。そこで最後に小津安二郎の「宗方姉妹」での節子の名セリフを添えておきます。ありがとう節子。わたしはあなたのこの言葉が大好きです。
「あたしは古くならないことが新しいことだと思うのよ。本当に新しいことはいつまでたっても古くならないことだと思ってるのよ。そうじゃない。あんたの新しいことって去年流行った長いスカートが今年は短くなるってことじゃないの。みんなが爪を赤くすれば自分も赤く染めなきゃ気が済まないってことじゃないの。明日古くなるものだって今日だけ新しく見えさえすればあんたそれが好き?」
結び
2021年あっという間だった。2022という数字、とても好きかもしれないと思ったので、それだけでいいやと思いました。
今年はすごく久しぶりにSNSで新しく友達を募集?するということをしたので、刺激的だったし、とても楽しかった。来年もよろデス。何回も音楽が救ってくれたし、自分で考える時間をたくさん持てたし、いろいろなものを取捨選択したし。言いたいことを形を変えて言うことができた。(相変わらず鍵のないとこでは言えないけれど)毎年の目標が「殴ってでも言いたいことを言う」だったので、それが少し達成できたかなと思う。人に言われて傷ついたこともあったけど、自分で手当てすることができたし、確実に成長している!テイクケア!!あともう少し自分に興味を持ちたい…この一年で何回も「あー私って自分に関心ねえな」と思ったので、少しは自分のことを気にできるといいですね。
来年の目標は「少しでも自分が豊かになれる方を選ぶ」です。ついでに、殴ってでも言いたいことを言いたい。
「好きなものは今日も大好きでしたが、嫌いなものは死ぬほど嫌いでした」が私の1日の締め言葉のなのですが、一年の締めもこれでいきましょう。ハートゥーセッ!

オタクライフハック 第2話

 この間久しぶりにイケパラを見た。その中で、松田聖子演じる校長先生が
「後悔する暇があったら、今を存分に楽しみなさい。花盛りは永遠じゃないのよ」
と言っていた。そうだ、これだよこれと思いました。私の欲しい言葉だった。
アイドルが今こうして歌って踊っていることは永遠には続かないし、今私が好きだと思う気持ちも永遠には続かないことはとうに分かりきっていることなのに、なんでこうも躊躇することがあろうか、いやない!と思う。
学生の時に聞いたことがある。今貯めたお金なんて、社会人になったら大したことない、それよりも今存分に旅行したりしてそのお金を使った方がいい、学生の時の時間ほど湯水のようでありながら貴重なものはないと。それを肝に銘じて学生時代を過ごした私は短期集中型でアルバイトをし、そのお金を全て遠征や旅行などに惜しげもなく使っていた。
今振り返っても、金銭的には貧乏ではあったけど、日々の貧しさはなかった。いつも充実してフラフラしていた。あの時の時間本当に大事にしておいてよかったと今思う。アルバイト漬けでもなく、稼ぐ時間より使う時間の方が多かったことも、幸せなことだったと思う。目的のためにお金を稼いでいた。二週間後の遠征のために働け乙女状態だった。
最近CDを買いすぎていたし、山積みになっているし、カードの請求はすごいしで「うーん」と思っていたのだけれど、お金は使える時に使ったほうがいいと思った。今の稼ぎは少ないけれど、将来もう少し稼げるようになった時に今のように情熱を注げるものがあるとは限らない。
25の私は情熱を注ぐものがいくつかある。でも60になった私に同じようにそういうものがあるかは知るよしもない。
買わない後悔より買って後悔、とまでは言わないけれど、その時々の自分を満足させられる選択を繰り返すことが重要なのではないかと思う。だって、今楽しいことが何よりも大事だと思うのです。一年後に悔やむことがあっても、あの時楽しかった自分も同じ自分なので、いつでも正直に、いつでも肯定してあげたいです。
テンくんがこんなことを言っていました。(https://youtu.be/oIApeXe-4ew
「今の暮らしに満足している?」と聞かれて「その時その時で僕が選択したから後悔したらダメだと思う」と。
私もそう思います。その時々の自分を見捨てないことが、今の暮らしを肯定できるかに関わっていると思う。あと、前に好きだったものを私は興味がなくなっても嫌いにはなりたくない。過去の自分が少しでもいいと思ったものは、いつまでもいいものであって欲しい。そのためには今の自分がそのものとどう向き合うかということが大事になると思う。なにかとふとお別れすることになっても、その後そのものの欠点ばかりを見つけるようなそんな「好き」の裏返しはいりませんね。自分が辛いだけです。
父ちゃん、俺はやるぜ(金を握りしめて走り出す)、俺は今後悔しない選択をするぜ

オタクライフハック 第1話

最近気がついた、バンドとアイドルの追いかけ方に線引きをする必要はあるのか、ということに。
バンドの場合、絶対にライブに行くし、CDも全部持ってるし、みたいな付き合い方をしているのは限られている。ちなみに私が今絶対にライブに行くのはオウガ。ちょっと前まではtetoは遠征するし、一つでも多くのワンマンを見に行っていた。あとDYGLはほんとずっと見てきて、全国流通出してから行かなかったのは前作のリリースツアーだけ。あとNOT WONKのワンマンは生きる力をもらえるので、いつも行きたい。海外のバンドだと、Bo Ningenは来日(帰国?)したら東京は全部行きたいし、Primal Screamが来日したら絶対に行きたいし………(略)
一曲聴いて気に入ったらすぐライブに行く、そしてそのあとCD買ったりしてチマチマ音源を聴くということが割と多い。好きなバンド見に行って、対バンのバンドが良くて行くようになった、とかいうこともある。でもそのバンドのライブは全部行くわけでもないし、対バン次第で行くとかいう選択の仕方もある。バンド好きな周りの人も、流動的に、行きたい時にフラフラ行く人が多いし、追いかけないことはザラだから、友達がCD買ってなくても、ライブに来なくても、特に何も思わない。好きな時に好きなだけがスタンスで、それ以外には何もないから、こういう楽しみ方をしていた。バンドも変われば自分も変わるし、出会いと別れを何回も繰り返して、今の「好み」ができた。そして、出会いと別れの数だけ、好きな物が増えた。別れたからといって、別に嫌いになるわけではないので。次の作品はイマイチでも、この間出た作品は好きなら一生聴き続けると思う。なんて楽な楽しみ方なんだろうか…自由を絵に描いた、これこぞ趣味❗️といった感じ。どうしても聴きたい曲があって、その一曲のために行くとかいうことも私はある。リリースツアーでやったあと定番にならなければ対バンではやらないので、機会は本当に限られてしまうので。
アイドルは、全供給と懇切丁寧に付き合うことが当たり前な感じ。基本的に全肯定。
全肯定というのは、曲に関しても、この曲微妙だね、ということが許されない空気を感じるというか、そういうこと言うなら好きじゃないんじゃない?聴かなくていいんじゃない?という圧力をどことなく感じる。わたしは物事の好みがすごくはっきりしていて、つまらないなとかそういうことをざらに思う。なんなら友だちの話がつまらなすぎて「つまらん次の話してくれ」ということもある。(人は選んで言うけど)そんなわたしが、約一年わりと全肯定で暮らしていたら、ある日突然心が死んだ。なににも疑問を呈さず、いいねいいねのイエスマンになったことでわたしのアイデンティティが砂になりました。わたしのアイデンティティは、世の中を斜に構えて見ることです。政治に対しても芸術に対しても文学に対しても、斜めに見ることをずっとしていて、こうすることが自分を作り上げているということにようやく気がついたのです。絵本の世界なら絶対に煙たがられるお爺さん役で決定です。全てを愛せよ、この世は美しい、というスタンスを取り入れてから(というか自然にそうなったからアイドルはすごい)自分がなくなっていくって、もう情けないと言うか、あんた流石だねと我ながら感心しました。そうして、心が砂になったあとは、ギターサウンドを貪り、自分の感じることに素直にいたら砂が固まっていきました。ツイートしたりして言葉にする機会が増えたから、(他人が気分を害すかもしれないような)素直な気持ちを持つこと自体がリスキーというか、村八分を引き起こす可能性があったし、そういう素直な気持ちを持つこと自体がちょっとした悪に思えていたんですが、これ、全然悪じゃないです。単なる感想です。右向け右の世の中は怖いですし、これ、産業を衰退させます。まあそれ以来は感想を言うにしても何にしても、これを見て嫌な気持ちになる人がいないかどうか、これまで以上に考えるようになりました。いいことだ!炎上怖いからね!
曲を微妙に思っても、それを嫌いなわけではないし、今回のこれは良くなくても前のあれは良かったから、という付き合い方をずっとしてきたんだから、それを継続することでことは足りるのではないかと思うわけです。でもなんとなくオタク界隈は、ひとつ反りが合わないことが決別に繋がるところがあると思う。ひとつが散り積もって決定打になっているのかもしれないけれど。それほどまでに、そのアイドルに対して真剣真っ向から付き合っているのだと思うけれど、わたしにはその付き合い方はどうも向かないことが分かった。
特に欲しくならないからグッズは買わない。それは対面イベに金をかけるから✊とかでも円盤積んだ方が✊とかでもなんでもない。(ちなみに対面イベという概念も、円盤を積むという概念も私の中には全くない)部屋に物を置くスペースはないし、過去に買ってきた大量のバンドTシャツを横目に、気持ちが離れた時に一番邪魔なのはグッズだからです。あの悲しい感じを味わいたくない。「こんなもの買って、バカだったな自分」と思いたくないからです。ただ、CDはどんなにあっても何も思わない、氷山の一角に過ぎないので。CDは買ってあっても聴いてないのとかあるから、本当にこればかりは何も思わないので、手当たり次第買うところがある。600枚入るというCDラックに買い替えたのにもう満杯である(CD以外のカセットとかも入ってるから600枚は入っていないと思う)。
「お金をかけた分=好きの大きさ」というのを感じることがある。お金を払うことが好きという気持ちの具現化(?)であるというのはすごくわかりやすいけれど、その結果として、あんまりお金をかけずに応援している人たちが肩身を狭くしているように感じることがある。同じ好きなのに、なんでこう分かれる感じがするんだろう、と思うことがある。全部持つことが必ずしも「正解」ではないと私は思うし、人の数だけ応援の仕方も異なるということがあまり浸透していない界隈なのだろうか、と感じる。趣味なんだから自由でいいのに、なんとなく縛られているような雰囲気を感じることがあります。もったいね〜!と思います。持論ですが、正論が正しいとは限りません。正論も置かれた環境が違えば正しくなくなります。正論が正しくないなと思った時は相手をぶん殴ってでも守りたいものを守りたいです。強い意志❗️
ここまで思いつくままに書いたけれど、これだからいい、これだから悪いというようなことを言っているのではないです。いいも悪いもないので、好きなように楽しみたいな、この大好きィ❗️を大事に暮らしたいな、隣の芝生はあくまで隣の芝生なので、こっちの芝生を大事に育てたいなと思うということです。
すぐバンドと比べたりするところも良くないとは思うんですが、バンドを好きなのってすごく自由の象徴というか、私にとって最高峰の趣味のあり方で、とても心地よいので(バンド好きで息詰まったことってほとんどない)、なんとなくそっちに寄せられたら自分が居やすいというだけです。
好きな時に好きなだけ、これ以上に最高に幸せな楽しみ方はないです、と私は思います。おわり

2021.11.19

今日は私が定期的に思い出す就活の時の話をしたいと思う。
就活の一大イベントであり、私が死ぬほど苦手なグループワークの時の話だ。
課題は次のようなものだった。船が座礁して、船長さんが足に怪我をしている。座礁した浜辺から人がいるところまでは歩くとかなりかる。時間設定は村まで歩いている間に日が暮れるようなそんな感じ。川があって、川を沿って歩けば村に着くとかだったと思う。助けを呼びに行くために、歩かねばならないがその道中で必要になるだろうものを選びなさい、というような課題だった。
15個くらい道具が列挙されていて、それらに重要度の高い順に番号をつけることがと求められた。道具とは、ロープ、火、薬、携帯電話などだったと思う。
なんにせよ、生まれて初めて(言い過ぎ?)のグループワーク、初めましての人と意見を出し合って答えを見つけなければいけないらしい。
まず初めに自己紹介をした後、誰がリーダーで誰がタイムキーパーで、などということを決めた。私は何もしたくなかったし、タイムキーパーとか書記とかのわかりやすい役割は素早く埋まってしまったので、たしか書記2みたいな感じになったと思われる。
さて、早速話し合いが始まるが、わたしは船長の怪我がとても心配。単なる骨折なら我慢しててね!添木持ってくるから!で済むけど、座礁して転んでいた場合頭も打っているかもしれないし、早急に村に行き、船長を助けてあげようということばかり考えていた。
はじめの方はなんとなくグループの人の話を聞いていた。「火は必要だよね!」「ケータイはいるかな?」などの話がつつがなく行われていた。私は、携帯が繋がるなら助けを求めに歩く必要はないと思ったので、真っ先にケータイはいらないのではと思った。火は必要だろうと思った。木を拾ってそれに火をつけたら松明になるから、夜道も心配ないと思ったので、むしろ懐中電灯はいらないのでは、と意見した。リーダー的な人が「たしかに!」となぜか賛同した。そして私は、そうかこういう感じで意見を出せばいいのか!と思った。「しかし、海辺の枝木は湿り気が多く、火がつきにくいかもしれないから、念のため懐中電灯も持っていくほうがいいかもしれない」と付け足した。環境に配慮した発言だったと思うが、グループワークにはこんなことは求められていない。
そこから私は有る事無い事をたくさん言い始めた。ここで事件は起こる。道具の中に「ビニールプール」があった。そこで私はひらめいた。このひらめきこそ、グループを路頭に迷わすことになる。「ビニールプールを膨らまして、その上に船長を乗せて担架にしよう!そしてロープでプールを繋いで引っ張るのはどうだろうか。もしくは川にプールを浮かべてロープで引っ張って村に行けば、私たちも疲れることなく村まで船長と行けると思います。」こう進言した。すると、リーダー的な人が「たしかに!」と言った。今思えば、海から内陸へ歩いていくので、村に向かう道中の川は私たちが進む方とは逆に流れているだろう。どう考えても川にビニールプールを浮かべるのは間違いである。今思えば、船長は川に浮かべられ、下手したら溺れて死んでしまっていたかもしれない。しかしながら私はこの時、もし土の上でプールを引きずる場合小石でビニールに穴が開くに違いない、ということまで考えていた。環境に配慮した発言だったと思うが、グループワークにはこんなことは求められていない。ビニールプール担架案が採用されたかどうかは記憶にない。
記憶に残っているのは、私のグループは私のあれこれ色んな意見によって、他のグループとは違う道具に優先順位をつけたということだけだ。合っていたのは火くらいだったと思う。
時折この時のことを思い出しては、グループの人ごめんなと思い、サークルクラッシャーならぬ、グループワーククラッシャーに自分がなってしまったことの罪深さを味わう。そして、今就職できているのは奇跡だと感じるのだ。
それ以降、グループワークをやることはなかった。やったとしても、この時と同じように、斬新なアイデアを出すだけの人で終わるだろう。グループワークに求められるのは、斬新なアイデアではなく、周りを見て必要な意見を適切に出せる人間である。その点において私は求められた人材ではなかったのだ。
しかし、この恐怖のグループワークによって、よかったこともある。度々受けさせられた適性検査の「新しいアイデアを色々思いつく方だ」という項目に「とてもよくあてはまる」という回答ができるようになったことだ。あの項目で何を見られているかわからないが、根拠のある回答をできることの快感をいつも味わっている。
【次回】面接官「これだけは許せないということはありますか?」私「貧乏ゆすりです」面接官「…皆さん貧乏ゆすりには気をつけましょう」次回も楽しみに待っててくれよな❗️