everythingokninjya’s blog

自己啓発本が大嫌い

オタクライフハック 第1話

最近気がついた、バンドとアイドルの追いかけ方に線引きをする必要はあるのか、ということに。
バンドの場合、絶対にライブに行くし、CDも全部持ってるし、みたいな付き合い方をしているのは限られている。ちなみに私が今絶対にライブに行くのはオウガ。ちょっと前まではtetoは遠征するし、一つでも多くのワンマンを見に行っていた。あとDYGLはほんとずっと見てきて、全国流通出してから行かなかったのは前作のリリースツアーだけ。あとNOT WONKのワンマンは生きる力をもらえるので、いつも行きたい。海外のバンドだと、Bo Ningenは来日(帰国?)したら東京は全部行きたいし、Primal Screamが来日したら絶対に行きたいし………(略)
一曲聴いて気に入ったらすぐライブに行く、そしてそのあとCD買ったりしてチマチマ音源を聴くということが割と多い。好きなバンド見に行って、対バンのバンドが良くて行くようになった、とかいうこともある。でもそのバンドのライブは全部行くわけでもないし、対バン次第で行くとかいう選択の仕方もある。バンド好きな周りの人も、流動的に、行きたい時にフラフラ行く人が多いし、追いかけないことはザラだから、友達がCD買ってなくても、ライブに来なくても、特に何も思わない。好きな時に好きなだけがスタンスで、それ以外には何もないから、こういう楽しみ方をしていた。バンドも変われば自分も変わるし、出会いと別れを何回も繰り返して、今の「好み」ができた。そして、出会いと別れの数だけ、好きな物が増えた。別れたからといって、別に嫌いになるわけではないので。次の作品はイマイチでも、この間出た作品は好きなら一生聴き続けると思う。なんて楽な楽しみ方なんだろうか…自由を絵に描いた、これこぞ趣味❗️といった感じ。どうしても聴きたい曲があって、その一曲のために行くとかいうことも私はある。リリースツアーでやったあと定番にならなければ対バンではやらないので、機会は本当に限られてしまうので。
アイドルは、全供給と懇切丁寧に付き合うことが当たり前な感じ。基本的に全肯定。
全肯定というのは、曲に関しても、この曲微妙だね、ということが許されない空気を感じるというか、そういうこと言うなら好きじゃないんじゃない?聴かなくていいんじゃない?という圧力をどことなく感じる。わたしは物事の好みがすごくはっきりしていて、つまらないなとかそういうことをざらに思う。なんなら友だちの話がつまらなすぎて「つまらん次の話してくれ」ということもある。(人は選んで言うけど)そんなわたしが、約一年わりと全肯定で暮らしていたら、ある日突然心が死んだ。なににも疑問を呈さず、いいねいいねのイエスマンになったことでわたしのアイデンティティが砂になりました。わたしのアイデンティティは、世の中を斜に構えて見ることです。政治に対しても芸術に対しても文学に対しても、斜めに見ることをずっとしていて、こうすることが自分を作り上げているということにようやく気がついたのです。絵本の世界なら絶対に煙たがられるお爺さん役で決定です。全てを愛せよ、この世は美しい、というスタンスを取り入れてから(というか自然にそうなったからアイドルはすごい)自分がなくなっていくって、もう情けないと言うか、あんた流石だねと我ながら感心しました。そうして、心が砂になったあとは、ギターサウンドを貪り、自分の感じることに素直にいたら砂が固まっていきました。ツイートしたりして言葉にする機会が増えたから、(他人が気分を害すかもしれないような)素直な気持ちを持つこと自体がリスキーというか、村八分を引き起こす可能性があったし、そういう素直な気持ちを持つこと自体がちょっとした悪に思えていたんですが、これ、全然悪じゃないです。単なる感想です。右向け右の世の中は怖いですし、これ、産業を衰退させます。まあそれ以来は感想を言うにしても何にしても、これを見て嫌な気持ちになる人がいないかどうか、これまで以上に考えるようになりました。いいことだ!炎上怖いからね!
曲を微妙に思っても、それを嫌いなわけではないし、今回のこれは良くなくても前のあれは良かったから、という付き合い方をずっとしてきたんだから、それを継続することでことは足りるのではないかと思うわけです。でもなんとなくオタク界隈は、ひとつ反りが合わないことが決別に繋がるところがあると思う。ひとつが散り積もって決定打になっているのかもしれないけれど。それほどまでに、そのアイドルに対して真剣真っ向から付き合っているのだと思うけれど、わたしにはその付き合い方はどうも向かないことが分かった。
特に欲しくならないからグッズは買わない。それは対面イベに金をかけるから✊とかでも円盤積んだ方が✊とかでもなんでもない。(ちなみに対面イベという概念も、円盤を積むという概念も私の中には全くない)部屋に物を置くスペースはないし、過去に買ってきた大量のバンドTシャツを横目に、気持ちが離れた時に一番邪魔なのはグッズだからです。あの悲しい感じを味わいたくない。「こんなもの買って、バカだったな自分」と思いたくないからです。ただ、CDはどんなにあっても何も思わない、氷山の一角に過ぎないので。CDは買ってあっても聴いてないのとかあるから、本当にこればかりは何も思わないので、手当たり次第買うところがある。600枚入るというCDラックに買い替えたのにもう満杯である(CD以外のカセットとかも入ってるから600枚は入っていないと思う)。
「お金をかけた分=好きの大きさ」というのを感じることがある。お金を払うことが好きという気持ちの具現化(?)であるというのはすごくわかりやすいけれど、その結果として、あんまりお金をかけずに応援している人たちが肩身を狭くしているように感じることがある。同じ好きなのに、なんでこう分かれる感じがするんだろう、と思うことがある。全部持つことが必ずしも「正解」ではないと私は思うし、人の数だけ応援の仕方も異なるということがあまり浸透していない界隈なのだろうか、と感じる。趣味なんだから自由でいいのに、なんとなく縛られているような雰囲気を感じることがあります。もったいね〜!と思います。持論ですが、正論が正しいとは限りません。正論も置かれた環境が違えば正しくなくなります。正論が正しくないなと思った時は相手をぶん殴ってでも守りたいものを守りたいです。強い意志❗️
ここまで思いつくままに書いたけれど、これだからいい、これだから悪いというようなことを言っているのではないです。いいも悪いもないので、好きなように楽しみたいな、この大好きィ❗️を大事に暮らしたいな、隣の芝生はあくまで隣の芝生なので、こっちの芝生を大事に育てたいなと思うということです。
すぐバンドと比べたりするところも良くないとは思うんですが、バンドを好きなのってすごく自由の象徴というか、私にとって最高峰の趣味のあり方で、とても心地よいので(バンド好きで息詰まったことってほとんどない)、なんとなくそっちに寄せられたら自分が居やすいというだけです。
好きな時に好きなだけ、これ以上に最高に幸せな楽しみ方はないです、と私は思います。おわり